極楽鳥さんへのお返事 その5

>その原因は自身の宿命の様でもあり、相手方も顕正会で活動してる故に思考回路や人間性が欠落する部分があるとゆうか偏るとゆうかなんとゆうか。。。

結局こうゆう事全てひっくるめて、間違ったものを信じているから間違った結果が起こるとゆう事なんでしょうかね。。。



すごく深い問題だと思います。もちろん間違った集団だからそのような結果が出るのだということはあるのでしょうが、私が書いていた“あの時のこと”の件は正系門家である日蓮正宗内での出来事です。(顕正会目線から見れば宗門は間違っているからそのような現証が起きるのだとなるのでしょうが…。ただ、そうなると正しいはずの顕正会内部でこのようなことが起きることが説明できなくなりますよね…。)

また、信仰とは無縁の世間においてもイジメは深刻な問題になっております。

つまり、どのような環境においてもイジメというのは発生するのだということなのでしょうね。


そのうえでこれらの原因というものを考えていくわけですが、世間のイジメというのもつぶさに見ていけばいじめられる側にもイジメのトリガーを引いてしまう原因があるのですよね。いじめる側の心を刺激してしまう切っ掛けを無意識のうちにしてしまっていたりするわけです。それを無くすことが出来たならば、その人へのイジメというのは発生していなかったかもしれません。

また、私の日蓮正宗内での体験もトリガーを引いてしまったのは私自身なのです。これに関しては後日書いていきたいと思いますが、やむにやまれず…、そうするしか方法はなかったとはいえ、もう少し冷静に対処していたならばもっと穏やかな方法もあったかもしれないと今になれば思えます…。魔がいたずらしたのだと思いますが…、このように世間においても日蓮正宗内においてもイジメの原因さえこちら側が作らなければ発生し得ないものなのではないかと私は思うのです。


一方で顕正会においては少し勝手が違うと感じます。


何が違うのかといえば、既にイジメのシステムが構築されているのが顕正会であり、そこに足を踏み入れてしまった者はもれなくその被害者になってしまうという事ではないかと思います。

顕正会の組織というのは地獄~修羅までの四悪趣の境界で充満しております。誓願という名のもとに無理な勧誘を際限なく強要する餓鬼界、組織の上下関係から居丈高に圧力をかけまくる上長と、それに萎縮し続ける会員さんたちはまさに畜生界の姿だと思います。また折伏の場に出れば対象者とは険悪な関係になり、家族ともいさかいは絶えない…、これは修羅界ですよね。で、けっきょくどこまで行っても逃げられない地獄の苦しみにさいなまれている皆さんの心の状態はまさに地獄界そのものなんですよね。


極楽鳥さんの苦しみの原因も、極楽鳥さん自身に原因があるのでは無くてむしろこのようなシステムの顕正会にいたがゆえに必然的に起きたものではないのでしょうか。


今回顕正会員が逮捕され本部他が家宅捜索されたのも、このような社会悪のシステムを何とか打ち壊そうという世間の意思の表れだと思います。ただ、実際には相当に難しいでしょうが…。



>顕正会で貫き続ける人は仏法やっていると、もうこうゆう事が当たり前的な感覚になって来てしまいますよ。
御書や御在世の弟子の方々の話とかで。。。
本当に見分けが付きません。
顕正会的な法華経は難信難解と一生成仏の困難さという思考回路に落ち着く訳です。。。



これもまた難しい問題ですよね。たしかに大聖人様の仏法では「身を惜しまない信心。」というものが大事です。ですからね、極楽鳥さんは意外に感じるかもしれませんが、顕正会出身者に対する御僧侶方の受けは意外に良いのです。むしろ理想的な信徒の姿であると評価してくださる方が多いかと思います。

顕正会では何もかもぶん投げて信心にかけることを美徳とされていますが、けっしてそれ自体は間違いではないのですよ。むしろ正しく正宗でやっていても、そこまでの決意に立てなければ成仏は叶わないと私は思います。その一線を越えられるか否かが大事なのですよね。

まさに雪仙童子の譬のとおりなのです。ただし、ここで一番重要なのは雪仙童子が木の上から身を投げたときに帝釈が助けてくれるか否かなんですよね…。

正しく信心しているならば必ず諸天の守護があるのですが、正しくない信心ならば大地に激突してしまうわけです。

顕正会では苦しいのが当たり前、御法門は理解しがたい、このように感じてしまうのはそこにハッキリとした功徳の現証が顕われないからなのだと思います。腹を決めきって一歩踏み出した時、そこに想像を絶する功徳の現証を体験出来れば、自ずと確信もわきますし、御在世の信徒さんたちへの厳しい御指南も納得でき得るものになるかと思うのです。


>学会さんの言い分ですが、むかし折伏大行進時代に年間数十万入信していたと、その度に大量の御本尊に開眼供養などやっていなかった。元々ない開眼供養を、阿部日顕上人が学会員を獲得する為に言い出した事だとかゆう話があるんですが、これは事実はどうなんでしょうか?


これに関しては御僧侶の世界のことなので私には分かりません。ただ、御隠尊猊下の御指南では丑寅勤行の時に必ず開眼供養はしておりますというお言葉が以前あったように思います。実際に御開扉の時には寺院や家庭の常住御本尊様の開眼をされている場には何度か私も立ち会いましたから、御形木御本尊様も何らかの形で丑寅勤行の際に開眼供養をされているのではないかと私は思っております。


長くなりましたが、極楽鳥さんへのお返事とさせて頂きます。
お付き合いいただきましてありがとうございました。




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