いきなり結論

結論から書いてしまおう。

浅井さんは、池田さんという自己愛さん(自己愛性人格障害と書くと少しばかりきつい感じがするので、今後このブログに於いては自己愛性人格障害のことを「自己愛さん」と呼ばせていただこうと思います。)のターゲットにされ、それに徹底的に抵抗し交戦し続けたがゆえに、自らも自己愛さんになってしまった。

現在の顕正会内部においてモラルハラスメントの問題が多いのは、棟梁である浅井さんが自己愛さんだからであり、幹部というイエスマンはやがて自らも自己愛さんへと変貌を遂げるがゆえである。

そして善良なる会員はそのターゲットとされ、イエスマンになれば上記の如く自己愛の症状を発症する。逆にあくまでも従わないならば、その行先は二つに分かれる…。一つは徹底的に抵抗して破門以前の浅井さんのように自らが自己愛になる道…。そしてもう一つは無抵抗のままで精神に異常をきたす道…。このどちらかしかないのである。

ここに顕正会が社会問題として取り上げられる所以がある。


また、妙信講破門に関してもこの自己愛が深く関わっている。


池田さんにとっては正本堂を御遺命の戒壇として何としてでも定義づけたかった。これは紛れもない事実であり、それ以上でもそれ以下でもありえない。逆に言えばたったそれだけなのである。(戒壇の「事」だとか、「義」だとか、そんなものどうでも良い些末の論議なのです。)

その「御遺命の成就」という野望を邪魔する浅井さんは、池田さんにとってはどうしても抹殺したい…、いや抹殺しなければならぬ相手だったわけである。

ここでこの「自己愛さん」というキーワードが、この当時の問題におけるグレーな部分を全てつじつまの合う一本の線につないでくれるのである。

そして…、

当時の妙信講は学会の謀略にものの見事にはめられた哀れな自己愛被害者だったのである。








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