二人が自己愛?

念のため断わっておくが、池田さんおよび浅井さんが自己愛性人格障害だというのはあくまでも仮定である。

まず浅井さんについてだが、私のような末端の顕正会員だったものが浅井さんの人柄を知る機会など非常に限られている。総幹部会や日曜勤行などの講演と、新聞や書籍によって活字になったものでしか触れることは出来ない。もちろんそれらは浅井さんにとって飾られた表向きの顔であり、彼本来の性格、人格などはけっして知ることは出来ない。

しかしながら、破門以前から浅井さんの姿をを見てきた櫻川さんが「彼は自己愛性人格障害だ。」と断言し、かつ組織内部…とりわけ幹部の姿に自己愛の姿を色濃くみるとき、浅井さんがその根源の自己愛さんなんだと予測するのは容易であり、否、そう予測するしか辻褄は合わないだろう。

また池田さんに関してだが、浅井さんに於いてや上記のとおりで末端が知る由もないのであるから、学会に籍を置いたことも無い私ごときが池田さんの人格を把握することなど到底できようもない。しかしながら、彼が自己愛さんだということはかなりの頻度で情報を目にするし、かつ原島さんの著書に書かれた池田さんの人物像はまさしく自己愛さんの判断基準にピタッと合致してしまうのである。

そういったわけで、とりあえずこのお二方が自己愛さんだという前提で話を進めたい。

現役顕正会員、現役学会員さんにおかれては色々と文句も言いたいところだろうが、一法華講員の戯言だと捉えて頂き、大きな心でしばし静観していただけるようお願い申し上げたい。


この記事へのコメント

  • ユタ

     おはようございます。

     記事が変わりましたので、こちらに書き込みさせて頂きます。

     お悔やみの言葉、真にありがとうございました。
     大往生と呼ばれる年齢が、日本では90歳から100歳過ぎくらいであろうということを考えると、祖母の85歳はそれとは言えないかもしれません。
     が、日本人の平均寿命並みまで生きられたことは事実。
     残された母や伯母も、むしろホッとしております。

     私が気になったのはむしろ他のことなんですが、まあそれは私のブログで追々書いていく予定です。

     さて、ついにこれから自己愛さん達の本質に迫るというわけですね。
     私は非常に感染力の高いウィルスに例えましたが、前にも申し上げました通り、感染したからといって、必ずしも発症するとは限りませんし、仮に発症するにしても、そのタイミングはやはり千差万別です。
     仏法では“治療”は無理と断じてしまった私ですが、祖母の葬儀に参加してみて、曹洞宗の住職が言っていたことと比較してみると、やはり仏法の何かが関わっているような気がするのですよ。

     学会員・沖浦さんの自己愛ぶりが、正に仏法の作用であると考えますと……。
    2016年03月28日 10:34
  • トチロ~




    ユタさんへ


    この仏法を信仰する者が目指すべき究極の目標は、「自我からの完全なる脱却。」だと私は思うのです。

    自己愛さんに屈伏してしまうのも、逆に自己愛さんに抵抗して自らも自己愛になってしまうのも、どこかに自我を捨てきれない自分があるからなんではないでしょうか。

    この信仰で得るものはそのまま自己愛対策に繋がると私が主張するのは
    2016年04月02日 15:44
  • トチロ~



    ユタさんへ


    最近携帯をスマホにようやく切り替えたんですが、なかなか難しいものですね…。スマホでコメント投稿してみたら上記のようになってしまいました。尻切れトンボで申し訳ありません。たぶん投稿できていないだろうとたかをくくっていたら中途半端な文章がアップされているのに今気づきました。

    で、続きなんですが…、

    この信仰は自我というものから完全に脱却するところに最終的な目標があるように思えるからです。

    つまり、この世のあらゆる苦しみは「自分というものに必要以上にとらわれているから苦しくなる」のであり、自分というものに必要以上の執着が無くなれば、どんなことが起きても大して動揺もせず、結果的に心は穏やかなままでいられると思うのです。

    自己愛さんはターゲットにする者のその痛いところを突いてくるわけですよね。「人間としての尊厳…、最低でも守られるべきその人の人格。」そういったものを攻撃対象にしてターゲットを破壊していく、それがモラルハラスメントの行動パターンです。最低の奴ですよ。

    けどね、これに従うイエスマンは心では悪いことと知りながら従っている。それは従わざるを得ない弱みがあるからなんです。その弱みとは往々にして「従わなかった時に自分がこうむる損害。」これが怖いわけですよね。

    けっきょくのところ事の善悪よりも自分が可愛いわけです。



    逆に自己愛さんに対抗する人というのは、彼らに傷つけられた自分のプライドを守るために徹底的に抗戦していくわけです。

    これもまた自己への執着があるわけです。

    この信仰によって過度の我執がなくなれば…。

    攻撃することも、盲目的に従うという事も無くなるわけですね。


    ゆえにこの信仰には解決策が説かれていると私は主張するわけでございます。


    2016年04月04日 07:32